気持ちを伝え合う技術(前編)~現代日本の会話の難しさについて~
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はじめに
自分は日本に住んでかれこれ10年になったものの、いまだに日本語は難しいなと思っています。
コロナの影響でオンライン上でしか会話していない日常になり、改めてそう感じました。
今回は、本屋でちょうど10年くらい前に出版された心理学者に学ぶ気持ちを伝え合う技術という本を一読し、その内容をまとめた記事になります。
まとめてみたら内容が思った以上に多くなってしまい、この記事では以下の点に焦点を当てて、書きました。
- 日本型の会話の難しさ
- 察しと自己主張
- 日本においての「自己」のとらえ方
- 日本社会に適応するためには
なお、個人のアウトプットとして残しているため、文章ではなく主観的に箇条書きで書かせていただいたこと、ご了承ください。
人とコミュニケーション
人はコミュニケーションの世界を生きる動物
- 人間関係の基本は気持ちを伝え合うこと
- それぞれが独自の世界を持っていて他人に伝えない限り、お互い理解できない
日本の場合
- 日本の場合、「察する」「空気を読む」という独特の文化がある
- これにより、思いを共有し、ホッとできる場を形成することを重要視する傾向が見られる
2種類のコミュニケーション
道具的なコミュニケーション
- 情報のやり取り
- 相手に対して論理的に伝える時に使う
情緒的なコミュニケーション
- 気持ちやり取り
- 気持ちの安定をはかる
- 誰かとつながっているという感覚が気持ちを落ちつかせる
- 気持ちの通じ合ったコミュニケーションはストレス耐性を高めると言われる
道具的コミュニケーション > 情緒的コミュニケーション になると人間関係を難しくする要因となる
「察し文化」と「自己主張文化」の混交
察しと自己責任を伴う自己主張の特徴
察しのコミュニケーション
- 自己主張を控え、相手におまかせの態度を取る
- 相手がこちらのことを配慮して、こちらに取って良いように取りはからってくれることを期待する
- もし相手の態度が期待はずれだった場合、恨みつらみを口にする(可能性が高い)
- 相手が配慮してくれることを期待して自己主張を控えたからの反応
自己責任を伴う自己主張
- さまざまな背景を持つ人たちが交わる社会になってからはお互いが思っていることを言わない限り、分からない
- 自己主張をするには察しで通じていた話し方を断ち切って自分の希望を伝える必要がある
- その分、自分の希望を通してもらうには、結果に対して自分自身で責任をとるしかない
とはいえ、いまだに察し文化が続いて来ているのも事実なので、察し文化の特性を生かした自己主張のコミュニケーション方法を身につけるのが得策
「察し文化」と「自己主張文化」が混じってきた背景
- 「察しの文化」を維持することが難しくなる
- 都市化、交通手段の発達により、移動性社会が発展する
- 同質な人間同士の世界の安住ができなくなる
- 異質な人たちと関わりこなしていく必要が発生し、相手の考えていることや求めていることを察することができなくなる
- 「自己主張文化」が推奨される
- 自分の思いや要求を相手に汲み取ってもらうような受け身で消極的な姿勢が通じなくなる
- 文部科学省がはっきり伝え、自己主張するコミュニケーション文化へ方向転換する
- 自分の考えはアピールして伝える考え方が主流になる
- ただ、人に対して気配りできない人が増えてくる副作用も生じる
両文化が混交してから発生した問題
- 「察し文化」に慣れている中年世代と「自己主張文化」に慣れている若い世代で意図通りのコミュニケーションが取れない
- 若い世代の中でも性格の違いや家庭環境の違いにより、自己主張に積極的な者とそうではない者がいる中、「主張したもの勝ち」みたいな状態で果たして良いのかどうかが問われる
- 自己主張文化の根幹にある自己責任の思想が背景になっている欧米の個人主義に比べ、自己責任の発想が乏しく、自己責任を伴わな自己主張が独り歩きする
「自己主張文化」世代に足りないもの
- 自己主張は推奨されても、相手の気持ちを察することとか相手の立場を配慮するとかの訓練を受けていない
- 察する、配慮する視点自体がそもそも注入されていない
- 相手の立場に対する想像力の欠如
「自己主張文化」世代に必要な配慮ある自己主張
- 自分勝手な自己主張で一人勝ちの世界になると相手のことを配慮する側が取り残されてしまう
- 配慮ある自己主張に必要な以下の視点
- 「こちらの要求は相手の立場からしたらどんな感じだろうか」
- 「こちらの発言は相手に取ってどんな意味を持つだろうか」
つまり、相手の視点に立つことができる想像力を備えた自己主張が配慮ある自己主張
そのために必要な訓練は自己受容トレーニングを参考にすると適切な方法が見つけられる
「自己」のとらえ方
欧米の場合
個々人が確固とした行動原理を持っている
- 相手の行動原理を読み解いてそのつど出方を予測する
- それに応じた自分の行動のとり方が決められる
日本の場合
お互いの関係性によって行動原理が変わる
- 要するに、相手が違えば同じ人でも行動原理は違ってくる
- 相手との関係性によって一定の形を取る
- 「この人はこういう行動原理を持っている」という一定の予測が立てにくい
- 関係性の中の自己 > 個としての自己 の状態が日本の対人関係を律する
- 自分に対してどのような態度や行動を示してくるのかを重要視する
- なので、相手との関係づくりが重要な意味を持つ
- 日本社会では、一定不変の自分より相手あっての自分が動いている
- (これにより、一定不変の自分というものを見つけるための自分探しというのが一時、流行っていたのかも知れない)
「相手がいてはじめて、自分がいる」という考え方
日本の場合、お互いの関係性が生じたとき、相手からして自分がどんな意味を持つかによってその態度や行動が決まってくる
- この時、関係性を作っていく上で何を先に考えれば良いのか
- 良好な関係を作り上げていく
- 相手に取っていい意味を持つ人にこちらがなっていかねばならない
- そのためには情緒的なコミュニケーションを使いこなす必要がある
日本のコミュニケーションは相手の気の動きを肌で感じとり、臨機応変の出方をしなければならない
- そのためには、先に自分を相手にあずけることでコミュニケーションの主導権を与える必要がある
- こちらが主導権を持つことで、下手に相手の気分を損なっては関係づくりが失敗で終わる
- この場合、相手次第で自分の出方を変えるというのが、もっとも理に適った行動様式となる
良い関係を作るには身内意識が深くならなければならない
- 身内意識 ≒ 相手もこちらに自己をあずける意識
- つまり、気心が知れている意識が求められる
- 逆に気心が知れない相手はどうなるのか?
- ひと言で言うと、よそ者扱いされる
- よその人に自己をあずけられないから必要以上によそよそしい態度を取ることもある
揺れ動く自分
「嫌われるのが怖い」という心理は欧米ではあまり見られないと言われる
- 理由は、「自分は自分なので、人からどう見られようと関係ない」という自己評価の軸が確立しているから
- そのため、人からの評価による気持ちの揺れが少ないらしい
日本の場合
- 相手との間柄によって自分が決まるため、相手に依存している
- 相手からの評価によって「自分」が揺れ動く
- 結果、人からどう見られるかをとても気にする
- 相手に察しが通じなかったらどうしようと気になりはじめ、不安を覚えたり、気疲れしたりする
日本社会に適応するためには
- 日本社会に適応するには、場を共有する相手との間柄によって、自分の出し方を調整していく柔軟性が求められる
- 間柄がはっきりするまでは、自分の出方が決まらない
- これにより、相手にどう対応したらよいかが分からず、間柄が定まるまで探りを入れながら自分の出方を調整していくしかない
- (最初、日本に来てからこれを理解するのに時間がかかった)
- でも、間柄さえ定まれば、それにふさわしい距離感で自分を出していく
つまり、間柄を重視し、関係性の中の自己を生きながら、自己主張を織り込んで行くコミュニケーション能力が求められる
今回のまとめ
日本において外国人はどちらかというと「自己主張文化」で育ってきた世代の感覚に近いかもしれないと前から何となく思っていました。
今回の一読で、私個人が得られたことは大きく以下の2点でした。
- 本で指摘されている、「はっきり伝え、自己主張する」ような伝え方に自分はなれていると再確認
- 察しが難しいと感じた要因として「自分を相手にあずける」という感覚がなかったことを確認
また、これからも日本で生活していくことを考えるとコミュニケーションのとり方について以下のような意識を加えておいて、損はないと考えました。
- 「もしかしてわかってほしいことがあって遠慮しているのかもしれない」という配慮
次回の記事では自己主張する上での感情的・理性的なアプローチにどんなものがあるのかについてまとめて公開いたします。
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